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岩田 淳 先生

認知症の名医
専門
認知症性疾患、パーキンソン病、脊髄小脳変性症
掲載開始日:2019年05月20日
最終更新日:2020年04月14日

臨床実績


認知症外来患者数/月
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専門医資格
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学会職位
***

学術活動


論文・学会発表数
*** 件
※件数は英語論文を含まない場合がございます

最終論文・学会発表年
*** 年

学術機関
***

出身大学
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略歴
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受診しやすさ


初診までの待機期間
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医師指定受診
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外来待ち時間
-時間程度

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岩田 淳先生のインタビュー

公開日:2019年08月22日
患者さんが少しでも幸せな人生を送っていただく、それを助けていくのが僕らの役目

先生が医師を志したきっかけを教えてください

私が通っていた高校は進学校だったので、周りには東京大学を目指している同級生が多く、自然と自分も東京大学を目指すようになりました。高校では物理部の部長を務めていたので、大学では機械工学を学ぼうかなと思っていたのですが、高校3年生の頃から生物にも興味を持ち、学問として学びたいと思うようになりました。また、私の父も東京大学医学部附属病院で神経内科医として働いていて、父と同じ道を歩むのはつまらないと言う思いから医師の道はずっと避けていたのですが、医師の免許だけは取ろうと思い、理科三類を受験することにしました。

先生が神経内科を専門とされる経緯について教えてください

私自身はせっかちな性格だったので、時間がゆっくり流れるイメージを持っていた神経内科は性格に合わないかなと思っていました。しかし、外科の手術も向いていないなという思いもあったので、内科の中でも急性期の医療に携わることの多い循環器内科に入局しようと思っていました。しかし、当時まだ父が東京大学の神経内科に在籍していたこともあり、研修では神経内科を回りました。
1年間の大学で研修した後、横浜労災病院に行き、更に循環器内科と神経内科を半年間ずつ回らせてもらいました。循環器内科では治療によって患者さんの状態が劇的に回復し、元気に帰宅される姿を目の当たりにし、やりがいのある科だと感じました。しかし、その後に回った神経内科でも脳卒中の患者さんを多く診る機会がありました。脳卒中の患者さんも治療により状態は改善しますが、それにより失われた脳神経細胞は回復しない点が大きく違いました。
循環器内科と神経内科、どちらに進むか迷っていたのですが、当時の循環器内科の部長に20年前は循環器も回復しない患者さんが沢山おり、それが今では劇的に変わったと教わりました。そうしたことを神経内科の領域に持ち込めないかと考える様になり研修修了後は、東京大学の神経内科に入局しました。
神経内科に入局後は脳卒中の患者さんの診療に携わりたいと思っていたのですが、当時の東京大学医学部附属病院は慢性期の疾患を主に診ており、脳卒中の患者さんはあまり診ておりませんでした。研究テーマとしても当時はメジャーではなく、脳卒中に関わる機会が得られず悩みました。打開案として、脳卒中を多く診ている外の病院に出ることも考えたのですが、丁度、家庭を持った時期でもありましたので、先ずは東京大学でできることをしようと考えました。
その後、神経変性疾患の分子病態を研究していた先生が理化学研究所で研究室を立ち上げることになり、一緒に研究をしないかと誘ってくれました。その頃は様々な病気の原因遺伝子が特定されていた時期であり、それらを実験で検証していく研究が広がった時期でした。学んだ学問を患者さんに還元できるからと言った大それた思いではなく、疾患のメカニズムを理解した上で診療にあたりたいといった思いと、基礎研究への興味から、4年ほど理化学研究所でパーキンソン病や多系統萎縮症と言った神経変性疾患の分子病態について研究していました。
当時は2日に1回は外国からの先生によるレクチャーがありましたし、隣の研究室の方とも仲良くなれたので、4年間を楽しく過ごせました。その後、隣の研究室の先生からの紹介で米国のスタンフォード大学にも留学し、ハンチントン病などの研究を行いました。

現在は認知症をメインに診療されているのですね

留学から戻った後、当時の教授からはこれまでと違う研究を行うことを勧められました。研究方針や方法を変えることは大変でしたが、同じ神経内科の先輩であり、現在の神経病理学分野の教授でもある岩坪威先生から、大規模なアルツハイマー型認知症のコホート研究を手伝ってくれないかと誘われたこともあり、アルツハイマー型認知症の研究に携わることになりました。それまで行っていた研究は今後、自分一人の力だけで達成できるとは思えず、自身のキャリアを考えた時に後20年で何を成すことができるかと考えましたし、社会に何か還元をしていかなければいけないと言う思いもありました。それまで認知症とは違う分野を研究していましたので、40代で研究の対象や方法論を変更し、一から勉強し直すことになりました。

患者さんとその家族と関わる機会も多いのかと思うのですが、診察の際に気をつけていることはありますか

誠実であることですかね。わからないことに対して適当なことは言わず、誤魔化さないようにしています。患者さんの発言には一つ一つ理由があると思いますし、それを論理的に解釈して答えを出すのが医師の役目だと思っています。患者さんがおっしゃることには可能な限り、私はこう思うと言った考えを伝えるようにしていますし、わからないことがあればわからないとお答えします。
また、家族の方には労うことを心がけています。もちろんご本人も労うよう心がけていますが、認知症の患者さんとご家族は緊張関係にある場合も多いので、少しでも仲を取り持ってあげることを目標にしています。そのために患者さんやご家族の声のトーンや表情などにも注意を払いますし、ご家族の方が何か言いたそうにしているときは、何かありますか?と一言聞くようにしています。
認知症は緩やかに進行していくので、認知機能が低下してきた後も患者さんが苦痛なく通院できるよう配慮していますし、ご家族の方には今後どう言った症状が出てくるのか説明するようにしています。
神経内科の領域は治らない病気も非常に多いです。その中で私たち神経内科医の役割について考えると、患者さんが少しでも幸せな人生を送れるよう助けていくのが役目なのではないかと思っています。お薬を出して症状が和らいだだけではありがとうとは言われないかもしれないですし、患者さんにはいつも治せなくてごめんねと言っていますが、最期にありがとう、と言っていただけることが一つの目標です。治せないかもしれませんが、少しでも幸せにしてあげたいと思っています。

先生の今後の展望を教えてください

私自身がアルツハイマー型認知症を心配するような歳になるまでにアルツハイマー型認知症の治療を実現できたらと考えています。医師になって3年目の時、多系統萎縮症と言う患者さんを診た経験があります。その方は一切の治療を拒否しており、苦しそうにして亡くなっていく過程を目の当たりにしたのですが、その時に何とかしてあげたいと思ったのが原体験かと思います。それ以来、何とかしてあげたいと言うのが目標になったのだと思います。私はそもそも患者さんを治療し、喜んで帰ってもらうと言うことが目標でした。神経内科の中でも脳卒中などの診療に関わる道に進んでいたらそれが出来ましたが、その道に行かないでここまでやってきました。私の残りのキャリアの中で、そう言ったことを実現することが目標であり、夢であり、義務であると思っています。

受診を悩まれている方へのアドバイスをお願いします

患者さんの中には診断がつくことを怖いと言う方もいらっしゃいますが、知らない方が怖いのではないかと思います。アルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症は昔に比べると治療法も良くなり、進行も遅くなってきています。これには薬の進歩だけでなく、デイサービスなどの介入が進んできていることも大きいと思います。診断を早期につけ、適切な医療介入を行うことが大切ですので、怖がらないで受診していただきたいと思います。
ご本人が受診を拒む場合には、個人的にはご家族はあまり無理強いすべきではないと思っています。いきなり「最近、変だから病院に行こう」と言われたら誰だって嫌だと思います。「ちょっと健康診断に行こう」など言葉を変えて受診を促すことができれば良いかと思います。

編集後記

インタビューでは臨床だけでなく、長年、病気の根本を研究されてきた先生だからこそ語ることのできる貴重なお話を伺うことが出来ました。日々とてもお忙しい先生ですが、ワインがお好きで、留学中もワイナリーを訪れていたと言ったお話や、運動も兼ねてポケモンGoをされていると言った意外な一面も伺うことが出来ました。

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勤務先医療機関

住所:東京都板橋区栄町35-2
電話番号:0339641141