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私が心臓血管外科の道に進んだ理由はシンプルで、医師の中でもエリートとされる診療科に進もうと思ったからです。診療科を選ぶときに、脳神経外科か心臓血管外科かなと思ったのですが、アメリカでは医師の中で心臓血管外科が最も高収入ですし、収入が高いということはそれだけ難しいということだ、と考え、心臓血管外科の道に進むことにしました。
私はどうせやるなら一番難しいものにチャレンジしたいという性格なので。
最初から海外に行きたいと思っていたわけではありません。留学前の1990年台の日本の大動脈外科は非常に厳しい状況でした。日本でも大動脈瘤手術をやっている医師はいましたが、一言で言えばパッとしなかった。海外と比較しても治療成績は良くなかったですね。
そんな時に海外での学会に参加する機会があり、帰りにベイラー医科大学に寄ったんです。ベイラー医科大学にはコセリー医師を筆頭に、世界トップの心臓血管外科医がいました。1週間の滞在期間に、日本では誰が手術をしても救えなかったような患者さんが、術後3日で歩くことができるようになるまで回復していくのを目の当たりにしました。これは衝撃的でしたね。ベイラー医科大学は根本的に違うレベルだと感じ、日本の環境で学んでいてもこのレベルに到達することは不可能だ、と留学を決意しました。
我ながら本当によくやっていたなぁと思いますよ。日中に手術を見て学び、夜中にノートに記録するというのは30代と若く体力があったからできた方法だとは思います。ただ、それが今の自分の血肉になっているので、川崎幸病院でも同じように徹底的にノートに記録して学ぶよう指導しています(さすがに寝ずに、ではないですが)。これによって、川崎幸病院の心臓血管外科医は、私を通してコセリー医師やクーリー医師(山本医師がベイラー医科大学の後に在籍するTexas Heart Instituteの医師。世界一の心臓血管外科医とも評される)の世界最高の技術を若くして学ぶことができ、他の病院の教授、准教授にも引けを取らないスキルと豊富な経験を身に着けていくことができています。
コセリー医師もクーリー医師もそうなんですが、極論すると同じことしかやらないという点ですね。日本人は器用なので、手術の仕方から手にする機器までいろいろと改善したがる気質なんですが、彼らは圧倒的な量をこなし、それを蓄積することが重要だと考えていて、うまくいかなかったことがあったとしても、簡単にはやり方を変えません。
例えば、最近の学会では腎臓を保護しながら手術を行うための手法について、毎年新しい方法が報告されたりしているのですが、症例数としてはかなり少ないものとなっています。ところがコセリー医師やクーリー医師はやり方を変えません。彼らに言わせれば100例そこそこではまだまだ足りない、まして数例でやり方を変えてしまってはせっかくの経験が何も蓄積していかないというわけです。
日本では1000例を経験した医師はいませんが、私が実践している手術の方法は、コセリー医師、その前のクロフォード医師の時代から脈々と受け継がれてきた1万例以上の蓄積された知見の上に成り立っています。
私のポリシーなんですが、「多才な才能なんてない」と思っています。10個のことを学ぶより、1つのことに集中して学んだほうが確実に優れた能力を発揮できるようになりますよね。多くの医師は「なんでもできる医師になりたい」という想いを抱きがちですが、それでは何者にもなれないと思っています。
ですので、このセンターを立ち上げるときには、あれもこれもと手を出すのではなく、とにかく大動脈瘤手術に関してはどこにも負けないセンターを作ることが、患者さんのためになるのではないかということを考えていて、センター開設直後から「当センターは大動脈瘤治療の専門施設です」ということを宣言しました。言ってみれば専門店という位置づけです。こういった我々の思いも患者さんに伝わってきているかなと思っています。おかげさまで日本一の治療実績(2016年実績:大動脈治療総数784件、うち大動脈手術556件、ステントグラフト内挿術228件)を誇るセンターとなっていますが、これも我々の思いが正しいということの一つの指標かなと思います。
苦労というと本当に色々思い浮かぶのですが、やはり最も大きな苦労はこのセンター全体のレベルをあげるためにしてきたいろいろな努力ですね。
大動脈瘤の手術は心臓血管外科医1人では決してできません。患者さんも誤解されていることが多いのですが、外科医以外にも、麻酔科医、手術室の看護師、術後のケアを行う理学療法士、それから日頃使い慣れた検査機器、人工心肺など、センターとしての全てが噛み合って初めてよい手術が実現できます。そのためには全てがハイレベルである必要がありますが、ここが難しいところです。外科医の手技は自分がとにかく頑張って腕を磨けばよいですが、自分はそれ以外の領域の専門家ではないので、直接「育てる」ことはできません。全員が同じように治療に対してこだわりをもって、自分で「育ってもらう」ほかありません。そうなるように、コミュニケーションに多くの時間を割いてきました。そうやって少しずつの積み重ねで今の治療件数、治療成績にたどり着いたわけです。
ちなみに私も昔は他の病院からの要請で出張で手術を行うこともありました。しかし、自分の最高のパフォーマンスを発揮するためには周りのメンバーも違う、機器も違うという環境では難しいということに気づいてから、出張での手術はやらなくなりました。自分の関わる手術である以上、自分の持てる能力を最大に発揮していたいですからね。
今後ですが、川崎幸病院に山本晋がいるから受診しよう、と思ってもらうところからさらに一歩進んで、これだけの実績のある病院だから安心して受診できる、と思ってもらうようにしていきたいと思っています。
そのためには頑なにやり続けること、経験を蓄積し続けることがやはり重要です。伝統を守るというのに近いかもしれません。パッとでてきた新しいテクノロジーなどに安易に飛びつかないように、日本一の実績に裏付けられた治療を今後も患者さんに提供していきます。
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