医学部に入学するときは「医師になる」というより「精神科医になる」という想いでした。入学試験の面接官にそう伝えたら、呆気に取られていたことを覚えています。
私が精神科医になりたいと思ったきっかけは3つあります。1つ目は高校生の頃の親しい友人です。ごく親しい友人に不登校となってしまった友人と家庭内暴力で悩んでいた友人がいました。今でこそ不登校や家庭内暴力という言葉がありますが、当時はこういった状況を指し示す言葉はありませんでした。そのため、何かが起こっているけれど、おそらく心の問題だろうと受け止めるしかできませんでした。2つ目は中学3年生の夏休みに太宰治の小説に出会ったことです。それをきっかけに国内外の小説を読み漁り、その過程で精神医学や心理学を用いて文豪や政治家などの精神病理を分析する病跡学という学問に興味を持つようになりました。そして3つ目は児童虐待と人格形成への影響について知ったことです。小説以外にも文献なども読むようになったのですが、そのなかに児童虐待を受けると、後にその人の性格が変わってしまうというものがありました。そうした事に深い興味を持ち、精神科医を志すようになりました。
医学部を卒業後、精神医学の大学院に進んだ際に当時の教授であった野上芳美先生に学位のテーマをどうするかと尋ねられました。その時に小児科と協力して虐待の追跡調査をしたいと答えました。現在では日本でもアメリカでも虐待が後の人格形成に影響を及ぼすということの根拠が裏付けられていますが、当時はまだ充分ではありませんでした。しかし、野上教授からは「良いテーマだとは思うが、4年でできるのか」と返され、私もなるほどそうだなと思いました。といいますのも虐待の影響を把握するには4年という期間では難しく、もっと長期間の追跡調査が必要だからです。
現在、パーソナリティ障害の多くは虐待の後遺症ということがわかっています。自分を大切にできないということが根底にあります。人は愛されないと愛し方がわかりません。これは私の経験ですが、生命の危機に晒されるほどではない虐待でも、早いと小学生くらいから、遅くても高校生の頃には自己評価が低下します。虐待の通報を受けて保護されたケースなどではもっと早く自己評価が低下している可能性もあります。
虐待に関心はあったのですが、結局、私の学位のテーマは統合失調症になりました。私が大学で研究や診療をしていた頃は、精神科の最も大切なテーマは統合失調症と考えられていたのです。例えるならば、私も含め、精神科医にとっての統合失調症は内科医にとっての癌といった認識で、他の疾患よりも重んじられていました。そして、その後も統合失調症の研究に携わり、虐待への関心は薄れていきました。しかし、今から25年程前に虐待から解離性障害になった患者さんを担当したことをきっかけに再び虐待への関心が強くなりました。もっとも、特に私自身が虐待の専門家ということではありませんが。
また、大学時代には児童専門外来にも所属していました。そのためか当院は他のクリニックに比べると、児童・思春期の患者さんは多いと思います。
患者さんは具合が悪くなり受診をします。私は、良いか悪いかは別として、物事には必ず原因があると思っています。具合が悪くなった原因を捉えるために、患者さんにいろいろと尋ねるので、患者さんの中にはどうしてそこまで詳しく尋ねられるのだろうと感じる方もいると思います。患者さんにも拠りますが、具合が悪くなった原因を知られたくないという方もいらっしゃいます。また、原因はあまり重要視せず、辛い症状が緩和されればそれでよいという方もいらっしゃいます。患者さんの立場になれば確かにその通りだなと思うこともあります。
しかし、私は症状を緩和するだけでなく、再び同じ状態にならないようにすることを大切にしています。当院ではリワークプログラムといって、精神的な疾患を背景に休職や離職をされた方の復職支援を行なっていますが、その目標の一つに再発予防があります。リワークプログラムを通して、自分がどんな状況に対してどんな反応をするのか、客観的に把握してもらいます。病気になることはネガティブなことばかりだと捉えられがちですが、そうではありません。病気になったことが自分を見つめなおす機会になり気付きが得られれば、それは人生をより豊かにすることだと考えています。
近頃は発達障害や虐待に関する社会的な関心が高まっていますが、これは発達障害や虐待が増加してきたということではなく、今まで見つけられていなかったものが表に出てきたのだと思います。過去に遡りますが、精神分析などで有名なオーストリアの精神科医フロイトは、1890年代に発表したヒステリー研究という書籍の中で、ヒステリーがある患者は全て義父から性的虐待を受けていたと記しています。ところが、実際には性的虐待の加害者は義父ではなく実父だったそうです。当時のヨーロッパで精神科医の治療を受けられたのは、上流階級に限られたことでしょう。そのため、近親性交などということは、フロイトも書くことを躊躇せざるを得なかったのではないでしょうか。虐待は昔から存在したのですが、表面化しにくい社会背景もあり、そうしたトラウマに関する研究は大きく遅れました。
トラウマに関する研究の進展は、1970年代のベトナム戦争終結を待つことになりました。帰還兵の多くにトラウマによると思われる症状が見られ、アメリカで研究が盛んになりました。その後、1980年代に定められたDSM-Ⅲという疾病分類で心的外傷後ストレス障害(PTSD)の概念が提唱されました。
虐待は複雑性PTSDとも呼ばれます。複雑性というのは、生命の危険ほどではなくとも、小さな嫌なことが繰り返し、繰り返し起こり、蓄積されるということです。子供は親から受ける虐待を、自分が悪いからと捉えてしまいますが、決してそうではありません。そのため、治療では自分自身を大切にすることを繰り返し促します。薬物療法も取り入れながら、小さな成功体験と褒めることを繰り返し、自分は悪くないという認識を促していきます。
近頃のニュースを見ていると、若い人たちの自己評価の低さが気になります。確かなことはわかりませんが、SNSなどの影響から他人を過度に意識する文化になってきているのではないかと思っています。もっと胸を張っていて良いと思いますし、今後、当院でも自己評価を高めるようなプログラムを導入したいと思います。因みに、怒りのコントロールが苦手な方のためのプログラムは既に導入しています。
今、どこのクリニックでも発達障害の方が非常に増えていると思います。発達障害は「育てにくさ」から虐待されやすいと言われていますが、虐待の後遺症としての衝動性、注意欠如、多動性の症状と発達障害に由来するそれらを鑑別することは非常に難しいです。
虐待家族を扱った研究では、本人はもちろん虐待した側である親にも発達障害が多かったというものもあります。虐待そのものも連鎖しやすいと捉えられており、子供は知らずのうちにそういったコミュニケーションを学んでしまうと思われます。アルコール依存症の父に苦しんだ娘さんが、結婚してみたら今度は夫がアルコール依存症になってしまうなど、不思議なこともいろいろあります。
自身が虐待をされたとしても、子供に連鎖させず自分の代で食い止められるという事は、それだけで尊敬に値します。社会や周囲の方々にもそう思っていただけたらと思います。
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