※掲載情報は独自の調査・分析により収集しており、最新かつ正確な情報になるように心がけておりますが、内容を保証するものではありません。
※実際に受診を検討される場合には、直接医療機関にもお電話で問い合わせいただくことを推奨いたします。
当院で取り組んでいる「母と子のネットワーク」とは、主に病院で分娩を行い、健診などを地域の医療機関で行うセミ・オープンシステムのことです。
当院のある多摩地域は東京都全体の分娩のおよそ3分の1を担う地域です。私が当院に赴任した20年前は東京都全体で9万件ほどの分娩があったのですが、その内、3万件を担っていました。しかし、当時は分娩が多いのに産婦人科医は少ないという状況で、東京23区内では1,000出生あたり16名の産婦人科医がいるのに対し、多摩地域は1,000出生あたり8名しかいない、医療過疎地域とも言える状況でした。そのため、通常の分娩もハイリスク分娩も分け隔てなく救急診療で受診されるような実態がありました。なかには、他の医療機関で日頃診ていただいている妊婦さんが切迫流産で搬送されることもありました。
このように妊婦さんの受診状況の交通整理がなされておらず、これはどうにかしないといけないと思いました。例えば地域の医療機関で健診を行い、専門性の高い病院はハイリスクな分娩や高度な技術が必要な手術などに専念するといったように施設の機能に応じて分娩のリスクを評価し、適切に分配すると言ったシステムが必要だろうと思いました。
しかし、ただ基幹病院が「施設機能に応じたリスクの分配を実現するためにハイリスク出産のみ扱うので、地域の医療機関は通常分娩や検診を重点的に行ってください」と唱えるだけでは何も始まらないですよね。そこで、当時ちょうど厚生労働省が研究モデル事業としてセミ・オープンシステムというものに取り組まれていることに目をつけ、東京23区のような医療機関の過密地域ではなく、南多摩地域のような医療過疎地域だからこそ全国の医師不足地域のモデルになるのではないかと思い、当院でも導入することにしました。実際に南多摩地域というのは、どのような疾患においても全国の地方都市の縮図の様相を呈しています。
まず当院での分娩を希望する妊婦さんのうち、分娩時のリスクが低い妊婦さんについては周囲の施設に健診を委託することにしました。実際に協力していただく先生として、最も近隣の開業医の先生を3人程訪ねました。クリニックとしては健診も増えるし何のデメリットもないのですが、経過を共有するために母子手帳以外にも我々がネットワーク手帳と呼んでいる手帳にも健診結果を書き込んでもらう必要があるので、その手間は増えてしまいます。しかし、3人ともお話したところ特に否定的な反応もなく了解をいただくことができました。その後、約90施設に手紙を書いてお願いし、最終的に18名の先生にご参加いただき、スタートを切りました。
ネットワーク手帳は母子手帳と半分は同じ内容になりますが、それ以外にも超音波検査の結果や検査データを貼り付けてもらうなど色々と記載ができるようにしています。妊婦さんに受診時に持参いただき記載することで、妊婦さんご自身に自分のカルテを持ち歩いてもらうイメージです。
当初はWEB上で行うことも考えましたが、PC対応が難しい医療機関もありますし、そのためにサーバーを設置する必要もあることから、紙の手帳でスタートすることにしました。持ち歩いていただく必要はありますが、このネットワーク手帳を持っていれば夜間救急を受診した時でも、紹介状がなくてもこれまでの状況がわかるわけです。
今でも里帰り出産を希望する妊婦さんなどで問題になることはありますが、夜間診療に対応をしていないクリニックを受診している場合、夜間に突然お腹が痛くなって病院にいくと、病院側にはこれまでの情報が何もないので、要するに飛び込み出産と同じようになってしまいます。それを防ぐために、本来は全国共通の手帳があるといいのですが、母子手帳は診療記録ではないという前提がありますので、なかなか普及が難しい状況になります。
今でこそ、子宮頸管長の測定は健診で必須となっていますが、当時はあまり普及していませんでした。どうしたら開業の先生にも普及するかと考え、全て記入してくださいねという意味も込め、手帳に記載する欄をつくりました。その他にもこれまでの妊娠のご経験などはご本人に記載してもらうようにしています。例えば未成年での人工妊娠中絶や流産など記載してしまうと、ご家族が見た際に問題となることもあるので、そういったことは書かなくてもいいように配慮をしました。手帳の内容は何かあるたびに見直しを行っており、これまで何度も改訂されています。妊婦さんにも必要性を理解いただけているようで、既に10年以上運用していますが、忘れてきたという人はいませんでしたね。そういう経験もあって、実は現在東京都が発行している妊産婦用の共通手帳の作成にも携わりました。
受診経路の交通整理がされていなかった当時は、前置胎盤や妊娠高血圧症の妊婦さんが切迫した状況で運ばれ、その場で治療してくださいと救急外来を受診されることも少なからずありました。
しかし導入後は、健診を多くする施設の先生から異常がある妊婦さんは早めに紹介していただけるようになりました。また、はじめは羊水量や子宮頸管長の記載がされていなかったこともありましたが、手帳の普及とともにだんだんと記載されるようになりました。この他にも、これから妊娠の経過に注意が必要になりそうな妊婦さんも、紹介のタイミングを整理することで、予防的に介入できる早期の時点で当院に送ってもらえるようになりました。例えば前置胎盤だと30週を過ぎたら診断が可能ですが、注意してみると20週くらいで前置胎盤の疑いがある妊婦さんもいらっしゃいますので、疑いがあった時点で紹介してくださいと言うことをお伝えしています。また、双子の場合は心拍が確認でき次第紹介ということにしています。子宮頸管長はそれぞれの時期の正常経過と比較して異常があったタイミングで紹介していただくようにしています。このように比較的早期から当院で介入できるようにしたところ、ここ7〜8年間、前置胎盤で大量出血を起こして運ばれてくる妊婦さんや切迫早産のうち分娩が切迫した状態で緊急搬送される妊婦さんはいらっしゃらなくなりました。交通整理と同時に、注意して診療しなくてはならない妊婦さんを集中的に診察し早期介入することで重症化が防げるようになったのです。これは妊婦さんにとっても我々にとってもとても良い結果と言えると思います。
交通整理によって健診や分娩対応可能な施設自体も増えました。これまで分娩を中心に行っていた施設でも積極的に健診を行ってくれるようになりましたし、新たに分娩を行う施設も誕生しました。現在では分娩が可能な施設なども一覧にしてお配りしていますが、近隣で分娩ができる施設は3施設増えています。一般の婦人科クリニックなどお産を取り扱わないクリニックも巻き込むことができ、土日や夜間の対応を行っていない医療機関でも当院のようなバックアップ体制があることで、安心して健診が行えるようになりました。
セミ・オープンシステムを導入して交通整理ができて、一番良かったことは地域の医療水準が上がったことですね。ネットワーク手帳を作成し、当院の健診と同じ形で健診を行っていただくようにしたことで、地域の医療機関も同じレベルの健診を行っていただけるようになり、地域の医療水準の向上に寄与していると思います。当院は大学病院として若い先生たちも研修を行うのですが、そこでハイリスクな分娩も経験しないと技術も育たないですよね。交通整理ができたことでお産の数自体は減りましたし、重症化は防げましたが、それでもリスクの高い妊婦さんが集約されるので年間50件は前置胎盤を経験しています。
病気ではなく病人を診ることを大切にしていますね。例えば、子宮筋腫で受診される人に、手術で筋腫を切除したとしても、その人の本当の悩みは筋腫があることとは限りません。筋腫によって頻尿となってしまっていることかもしれません。手術をして筋腫を切除すると、もしかしたら頻尿も治るかもしれませんが、膀胱自体に問題があれば、頻尿が治らないこともあります。その人が本当は何を主訴として受診されたのか、治療に際して何を求めているのか、その症状を和らげてあげられているのかと言ったことを大切にしています。
当院の産科診療の今後の課題として無痛分娩への対応があります。妊娠高血圧症などで血圧のコントロールが必要な場合には、無痛分娩を行うこともありますが、そう言った状況以外ではそれほど積極的には行っておりません。しかし妊婦さんのニーズとして無痛分娩への期待はありますので、今後は当院でも取り組んでいけたらと思っています。
また院長として、システムを整備することで医療従事者の働き方を良くするということは、これまで同様、今後も取り組んでいきたいと思っています。しかし、患者さんや現場で働く医師のニーズは時代とともに変化していきます。今後は自分の価値観のみを押し付けないように、現場からの意見やアイデアを尊重し、発展していくことができればと思っています。
病気の種類や状態によって専門家がいるかどうかなど受診先を選ぶ必要があると思います。当院が得意としていない分野であれば、適切な医療機関に紹介します。当院を受診されたからといって全て当院で治療を完遂しようと診療しているわけではありませんので、受診先に悩む場合には是非相談に来ていただければと思います。
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